第3歩 お天道様は見ている ―― 現場で思考する「絶対的な定規」
3月1日の記事で、日々の現場に向かう前、そして終えた後の「作法(礼拝と拱手)」について書いた。 では、私たちはその作法を通して、一体「誰」に対して頭を下げ、報告を行っているのか。今回は、現在私の中でシステムとして統合しつつある「お天道様」という概念について、思考の現在地を記しておきたい。
「お天道様が見ている」。 これは日本人が古くから口にしてきた言葉だが、私にとってこれは、決してオカルトや宗教的な神様の話ではない。現場を預かる実務家にとって、これほど物理的で、ごまかしの効かない冷徹な事実はないのだ。
たとえば、木材に指矩(さしがね)を当てて線を引くとき。あるいは、久御山の畑で鍬を握り、土を耕して種を蒔くとき。 そこには「人間の都合」が一切通用しない。誰も見ていないからといって基礎の直角を1ミリでも妥協すれば、いずれ建物全体に致命的な歪みが生じる。土の声を無視して手抜きをすれば、大根や玉ねぎは決して真っ直ぐには育たない。 人間の上司の目や、書類上のルールの抜け穴はごまかせても、重力や自然の摂理という「巨大なシステムそのもの」をごまかすことは、物理的に不可能なのだ。
淀城の普請に関わった大工や、寺の梵鐘を鋳造した職人たち。 名もなき先人たちも、日々の現場で必ずこの「視線」を感じていたはずだ。権力者の顔色をうかがうよりも、現場を支配するこの「絶対的な物理法則と自然の理」を畏れ、それに恥じない直角を刻むこと。それを彼らは親しみを込めて「お天道様」と呼んだのではないか。
この「誰も見ていない孤独な現場で、自らを監査する定規」。 これを単なる精神論で終わらせず、現代の不動産管理や、複雑な組織のマネジメントを駆動させるための「OS(基本システム)」として、どう実装していくべきか。 私自身の思考もまだ深い部分を掘り下げている最中だが、すべての強靭なシステム構築は、この「お天道様の監査」を受け入れることから始まると確信している。
ここから先、この定規をどう実務に落とし込んでいくか。少しずつ言語化してデプロイしていきたい。
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